大沼慶祐(IoT会社経営|17期生)
取材・文/中城邦子 写真/林 直幸
プロフィール
2015年 | 慶應義塾大学経済学部卒業 |
2015年 | 経営共創基盤(IGPI)入社 |
2016年 | UUUM入社 |
2018年 | DMM.com入社 |
2020年 | Cerevo代表取締役就任(現任) |
2020年 | 社会福祉法人愛 理事就任(現任) |
■IoT製品の開発製造や共同開発を展開
私が2020年に社長に就任したCerevo(セレボ)は、ハードウェアがインターネットにつながるIoT製品の設計開発と製造販売を行っています。工場を持たないファブレスメーカーです。主力のライブ配信機材のほか、アニメやゲームに出てくるアイテムをそのまま現実世界の技術で形にしたスマート・トイも作っています。例えばTVアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』『攻殻機動隊 S.A.C.』に出てくる武器やロボットを再現したものなどです。
共同開発や新規事業開発も事業の柱で、共同開発ではすでに100社以上のハードウェア&ソフトウェア製品の設計開発や製造に関わらせてもらっています。Cerevoは製造業ですからより良いものをお客様に届けること、そして従業員も含めたステークホルダーの方々に、Cerevoに関わってよかったと感じてもらえるような経営を目指しています。
私生活では、夫で二児の父。会社経営をしていると時間の確保が難しいこともあるので、逆に、ON/OFFを作らないようにして、寝かしつけながら連絡を返したりもする、自分なりの両立の仕方をしています。
大学を卒業後、新卒で就職したのはコンサルティング会社、経営共創基盤(IGPI)でした。戦略コンサルタントとして新規事業立ち上げ支援やM&A、企業再生に近いこともやらせていただきました。
その後、YouTuberのマネジメント事務所 UUUMに転職して、上場の前後2年半にわたって社長補佐や新規メディアの立ち上げ、マネジメントを経験し、縁あってDMM.com入社しました。モノづくりシェアスペース「DMM.make AKIBA」の事業部長のときに、スタートアップCerevoの改革について相談を受けて、代表という立ち位置で改革を進める挑戦をすることにしたのです。代表や事業部長以外にもCVC「DMM VENTURES」やDMMコンサルティングの責任者、M&Aの案件も担当していたので猛烈に濃い20代後半を過ごしました。
Cerevoは、まだIoT一般化する以前の2008年にできた会社で、私が就任したのは2020年です。インターネットにつながっていないデバイスに通信機能を加えて新しい価値を生み出す、IoT製品が生み出す新しい豊かさの実現を目指して一緒に仕事をする中で、改革の目途がたったらDMMに戻りますというのは少し違うと思ったんです。今いるメンバーと業績を伸ばし、社長としての責任を果たしていきたいと考えて、出資元企業に話をして21年に自己資金でMBO(マネジメント・バイ・アウト)をしました。
研究開発に投資をして次のステージに伸ばしていくために、シナジーがある会社を探して22年12月からは上場企業のヒビノの連結子会社としてヒビノグループに参画しました。
■自由だからこそ責任と倫理観が伴う
経営者に必要なスキルがどんなものか分かりませんが、私自身はきちんとやりきること、恐れたり動じたりせず向かう胆力的なところは大事にしています。
とはいえ、一人でいろいろできるタイプの人間ではないので、信条としているのが「論理と情理」です。論理的に正しいというだけでは人は動きません。相手の気持ちを汲み取り筋道を通す、情理を尽くすことも大切にしていることが、こんな自分でもなんとかやれている理由かなと思っています。
社会人としていくつかの会社を経験し、いろいろな経営者の熱量を間近に見て刺激や学びを得てきました。そして、私の背骨になっているのは、SFC中高での時間かもしれません。細かな校則がなく「社会の良識が校則」という考え方が自分には合っていましたし、自由だからこそ自分たちで考えて倫理観をもって行動する責任みたいなものが、自然と身に付いたのだと思います。
■共に部活に熱中した時間と仲間は財産
今の自分につながっているSFC中高時代の出来事と言えば、1つは留学です。SFC中高には短期交換留学制度があって、高校2年と3年のときに、シンガポールと韓国へいきました。それぞれ2週間ほどだったのですが、生徒の家や学校の寮に泊まらせていただいて、現地の授業を体験しました。
ちょうど日本の経済が停滞しているとき。隣国のすごい勢いを感じましたし、韓国は受験戦争があるので朝から晩までしっかり勉強をしていて、その中でも時間を作って部活をしたり遊んだりしている。大学受験がないからこそ、留学などさまざまな体験ができるSFC中高は恵まれていますね。と同時に、こういう人たちとこれからグローバルな社会で伍していかなければいけないんだと実感しました。
シンガポールの高校生もアメリカの大学で学びたい、将来こうなりたいと夢や野望を語ってくれて、高校生のうちから自分のキャリアを考えている人たちがいるのだと刺激になりました。留学を引率してくださった杉山諭先生には、担任ももっていただいたこともあり、私は成績が悪かったので本当にお世話になりました。
もう一つは競走部(陸上部)での活動です。厳しいけれど顧問の飯田一彦先生をみんなが慕っていて、ハードに練習をして一緒に青春を過ごしたという思いが強いですね。私はやり投げをしていて県大会に出場しましたし、種目によっては関東大会まで行った人もいて、当時、神奈川県の中でもレベルが高いぐらい熱心にやっていました。
仲のいいSFC生たちが、その後、弁護士になったり銀行に勤めていたりするので、ちょっと相談にのってもらったり、逆に私が起業した人の相談に乗ったりしています。先輩・後輩を問わず、縦・横のつながりが強い仲間たちです。社会人になってから出会う人は、ほとんどが仕事を通しての付き合いになります。SFC中高からのビジネスに関係ない人脈、コネクションがあることはとても心強いです。
実は、2020年より社会福祉法人を通じて保育園の経営もしているのですが、その理事にも競走部の2人(同じく17期の小林くん、相良くん)に入ってもらっています。今では2つの園を通じて約100人の園児をお預かりしていますが、そのような責任ある仕事のお願いができるのもSFC時代から苦楽を共にしてきたからだと思います。
SFC中高は多様性があってさまざまなバックボーンをもった同級生がたくさんいたので、いい刺激になりましたし、同級生が就職して頑張っている姿を見ると、自分も頑張らなきゃみたいな気持ちにもなれます。
■得意を伸ばせばいい、不得意は任せればいい
私の原点は、自営業をしている両親の姿をずっと見てきたことがあります。経営者になろうという強い決意があったわけではなかったのですが、経営者としてやっていく方が会社の業績が良くなるのであれば、そうしようという自然の流れでした。子供のころから親の背中をずっと見ていたことは大きいのだと思います。
その一方で、SFC中高に入学して優秀な同級生たちを見たときに、同じ年代でこんなに優秀な人たちが大量にいるのだという事実に打ちのめされたところもありました。みんな一緒に部活をやって遊んでいるのに、なんで成績もいいの?とびっくりしました。
本当にレベルが高いと思います、SFC中高って。そういう同級生たちを見てきたからこそ、自分ができること、できないことを冷静に自己分析できたし、得意なことや苦手なことを意識できました。
私の場合、机に座って勉強して設問に答えていくことはちょっと苦手ですが、アイディアを出したり、緊張感がある場面で交渉をしていったりは得意なほうです。だったら、苦手なところは苦手と割り切って得意な人に任せて、自分の得意を伸ばせばいい、成果を出せるところを頑張ろうと思えるようになった。それは今の仕事の姿勢にもつながっていますし、原動力になっています。
■在校生へのメッセージ