大倉瑶子(世界銀行勤務|13期生)

防災・気候変動の最前線へ SFC中高で育てた羽根で飛び立つ

取材・文/中城邦子 写真/林 直幸

■大倉瑶子さんの軌跡

2011年 

 
 
大学卒業後、テレビ朝日入社 報道記者・ディレクター
2015年 ハーバード大学のケネディスクール(公共政策大学院)で公共政策修士     
 
2016年UNICEFネパール事務所で災害支援に従事
2017年マサチューセッツ工科大学(MIT)のUrban Risk Labに勤務
2018年ミャンマーの防災プロジェクトを指揮するNPO・SEEDS Asia代表
2019年 米系大手国際NGO Mercy Corpsでインドネシア・ネパール・バングラデシュの洪水防災の事業を担当
2021年ヤング・プロフェッショナル・プログラムで世界銀行に入行。南アジアの気候変動・防災事業、ジェンダーを担当

■パキスタンにて、気候変動の     被害を受ける人をサポート

パキスタンは、インド、中国、アフガニスタン、イランと国境を接し、日本の約2倍の面積を持つ国です。私は今、そのパキスタンで世界銀行・南アジアの気候変動・防災チームのメンバーとして仕事をしています。

パキスタンは、2022年に国土の3分の1が浸水するほどの大洪水に襲われました。世界銀行では復興事業をサポートするため、私のチームだけでも約1500億円のプロジェクト2つに取り組んでいます。最近力を入れて取り組んでいるのが、現金給付です。

パキスタン・シンド州の洪水被災地。後ろは本来は農地。半年たっても水が引かず

コロナ禍や災害など大きなショックがあったときに現金を給付することは、世界中で行われている取組みです。日本においてもコロナ禍で大規模な現金給付が行われました。全員にお金は配れないためどこに線を引くのか、どうやって被害を測定して、一番被害が大きい場所を選定するのか。パキスタンの中でも貧困率が高い地域が被害を受けたため、緊急支援が急務でした。     

今は、地域の人たちが自分たちで復旧したいコミュニティのインフラを自ら選定し、復旧に参加して日当をもらうプログラムへと進化しています。例えば道路の高さを上げて排水を良くするなど、災害・気候変動へのレジリエンスを強化できるよう、取り組んでいます。

パキスタンの識字率は6割以下で、特に女性で字が読めない人が多い国です。世界経済フォーラムが発表しているジェンダー・ギャップ指数は世界で142位と低迷し、事業地の多くでは、女性が男性の親族の帯同なしに外を歩けません。どうやって女性にプログラム     について知ってもらうか、参加できるような環境をつくるか。銀行口座もない人にどう現金を給付するかなど、本当に0から10まで、政府の人と膝をつき合わせて、一つずつ設計しています。

災害で一番影響を受けるのは貧困層の人だと分かっています。特に今は熱波や豪雨、干ばつなど気候変動による災害が多く、農業や漁業など自然資源に頼っている人の生活を直撃します。このため防災や気候変動を専門として働くようになってからは、ミャンマー、インドネシアなどの低・中所得国に駐在してきました。

ミャンマーのヒンタダ地区のナベ―ゴン村の人々と、ハザードマップの作成


■報道記者として向き合った東日本大震災がきっかけに

どうすれば災害による影響を防ぎながら、よりよい街や暮らしを復興できるのか。事業を通じて国や地域の持続可能な仕組みをつくる――今の仕事に向かうきっかけとなったのは、テレビ局の報道記者として取材した東日本大震災でした。

大学2年生のとき交換留学でカリフォルニア大学UCLAに行きました。現地テレビ局でインターンをしたのが、ちょうどオバマ大統領が誕生した年。歴史的瞬間を伝える現場に関わることができました。留学中には女性誌に連載を持っていたこともあり、経験を自分なりに消化して多くの人に共有し考えるきっかけをつくる仕事を面白いと思ったことを覚えています。

2011年4月、私はテレビ朝日に入社しました。3月に東日本大震災があり、配属された報道局は、震災報道の真っ只中でした。被災された方、家族を亡くされた方のパーソナルな話をお聞きすることは、とても重いことでした。目の前にある現実を見つめ、想像を絶する話を精一杯受け止め、一緒に経験する日々でした。

名取市の閖上(ゆりあげ)でのことです。息子さんを亡くしたお母さんが記した、「生き残った私達に出来ることを考えます」というメッセージを目にしました。復興、復興と、世の中が進む中、忘れられない言葉でした。報道の現場で大災害後の様子を、人々の生活から政策レベルまでいろいろなアングルから触れて、防災や災害の復興分野に貢献できる人材になりたいと強く誓いました。

名取市・閖上、東日本大震災の取材時に出会ったメッセージ

これが私の仕事の原点になっていると思います。相手の立場を一生懸命考えて相手に寄り添って仕事をすることは、自分にとって大事な価値観になっています。入社から4年、キャリアの転換を決めて、テレビ朝日を退職し大学院に進学しました。

■地域のコミュニティ防災から国の政策レベルの防災プロジェクトへ

進学先に選んだのはハーバード大学ケネディ・スクールです。実務者向けの公共政策のカリキュラムで学べること、世界中の国の人が集まって一緒に考える国際色の高さがあるという点で、自分に合っている学校でした。学校のスローガンは、“Ask what you can do”。国も職種もバラバラだけれどパブリックのために何かをしたい人たちが集まっていました。

同級生には、コンサルティングファーム出身者、インベストメントバンカー、医師、教師など様々なバックグランドの人がいました。様々なメンバーが、異なる国や地域での経験をもとに、様々な社会課題を解いたり一緒にグループワークをしたりしました。そんな中で、いかに相手の話をきちんと「聴き」、自分の考えをしっかりとまとめた上で話し、周りを説得するのかを鍛えられました。

大学院を出たあとはまず自分が手足を動かして現場を知る仕事をしたいと考えました。コミュニティ防災専門のNGOのミャンマー事務所の代表を務め、その後、米国を拠点に世界で災害や気候変動、人道支援などの分野で活動を展開している米国の国際NGOマーシー・コーで洪水防災のプロジェクト・マネージャーに就きました。

ミャンマーのNGOやマーシー・コーでの仕事は、現場に近い分、スピード感を持って動けましたし、お金が潤沢な組織ではないので、経験があろうとなかろうと全員が即戦力として扱われました。プロフェッショナルとして、最前線でアジャイルに働けて楽しかったです。特に日本の知り合いには、ハーバードまで行ってなぜ聞いたこともない組織に行くの?と言われたこともありましたが、むしろハーバードでの2年間で鍛えられたおかげで、自分の判断軸を持って必要なスキルを見極めることができました。人の目や世間の基準を気にせずに仕事を選べたのかと思います。

32歳のとき、国レベルで防災や気候変動の事業をやっていきたいという想いで世界銀行のヤング・プロフェッショナル・プログラムに応募し、ご縁があって転職しました。

世界銀行は、経済学者をはじめ、あらゆる分野の高度な専門家が数多くいる組織です。     自分のような博士ではないジェネラリストが採用されたのは意外でしたが、現場を知っていて、その国や人に寄り添って仕事をしてきた点が評価されて採用されたと後で知りました。どこで点と点が繋がるかはわからないものです。

国際会議

■テニス部で、社会にも通じる課題に向き合った

自分の軸で仕事を選んでこられたのは、ものごとを考える上での「相対性」が留学時代や海外生活で広がったことが大きいかもしれません。ひとつの社会でよしとされる生き方は、別の社会では評価されないこともよくあります。自分が一生懸命、志をもって楽しめるキャリアは、自分にしか決められないと、割と早く実感できたのはよかったです。

もう一つの理由は、SFC中高で、周りにどう思われるかよりも、本人次第でいいという空気の中で育ったことにあると思っています。

私は小学校6年間をアメリカで過ごし、一時帰国でSFC中高を受験し、学校が始まる1カ月前に帰国しました。日本語もおぼつかない、自分で電車に乗って学校に行けるのかもあやしいというレベルでした。幼いながらに緊張があったはずですが、SFC中高は帰国生が多かったこともあり、自分と似たような状況でアイデンティティや居場所を探している人がたくさんいたことが心強く、スムーズに慣れることができました。

広い世界があって、必ず自分の居場所があることを体感させてくれる学校でした。何より、人と人を比べるような教育ではなかったんです。勉強でも、スポーツでも、独立自尊。羽ばたきたいところへ向かっていくための羽根を大事にしてもらえる環境だったと感じています。

最初のリーダーシップ経験もSFC中高の部活でした。自主性を尊重し、生徒に考えさせてもらえる環境は部活にもあったのです。

私はテニス部の副将だったのですが、顧問の先生から「テニススクールとは違う。部活でテニスをやる意味を考えなさい」という大きなメッセージを投げかけられました。目標はどこにおくか、どうやって強い組織になるのか。大会に出る人を選出するプロセスをどうするべきかも、深く考えました。大会前に出場する選手ばかりがコートを使うことになるのは正しいのか、どうしたら選手以外の人もモチベーションを維持できるのかなど、社会に出ても通じるような課題意識を持つことができました。

それぞれがリーダーシップの役割を見つけて向き合い、テニスの上手・下手を超えた組織をみんなと一緒に作り上げた経験は今も生きています。

今は肩書きや所属する分野、特に女性の場合は、それぞれのアイデンティティによって分断されやすい社会です。そんな中でも何があってもお互いのことを心から思っている家族みたいな関係が、SFC中高だからできたと私は思っています。

日本に一時帰国をすると、よくSFC中高の友人と集まるのですが、皆それぞれの道に進みんでいます。大人になって会ったら共通点がなく親しくならなかったかもしれない人とも、中学からずっと一緒だから心から相手のことも思えるし、向こうも思ってくれる。素晴らしい信頼関係がSFC中高にはあると思っています。

■在校生へのメッセージ

SFC中高は自由に冒険できる場所。誰にとっても居場所を見つけられる場所だと思います。思い切って羽根を育ててください。そして、羽ばたこうとしている仲間をみたら、一生懸命、応援してください。

SFC中高時代にまさか地球環境についてのレポートを書いていました!種がまかれていたのかも。。。