山口香穂(旧姓:熊谷)(国際移住機関ケニア事務所勤務|16期生)
取材・文/中城邦子
写真/山口さん提供
山口香穂さんの軌跡
2014年 | 慶應義塾大学法学部卒業 |
2015年 | 米国シアトル留学(インターナショナルビジネスコース) |
2016年 | 外資系コンサルティング会社に就職。国際協力の現場での事業評価に従事 |
2019年 | 英国サセックス大学大学院修了。修士号取得 |
2020年 | 国際NGO、難民を助ける会(AAR Japan)勤務 |
2020年 | JPO試験に合格、21年よりIOMケニア事務所勤務 |
私は、今、日本から1万キロ以上離れた、アフリカ大陸の東側に位置するケニアにいます。
人の移動を専門に扱う国連機関、国際移住機関(IOM)のケニア事務所で緊急支援及び気候変動に関する担当官として、主に気候による移動を強いられた人たちへの支援を行っています。
ケニアは干ばつや洪水などの自然災害や、紛争などによって移動を強いられる人々がいる地域です。災害時にはシェルターを用意し、サニタリー用品など非食料物資を配布します。干ばつが続くと、遊牧民は遊牧ができず生計が立てられなくなってしまうので、干ばつに強い農業の普及を図っています。
また、大工やヘアカットなど技術を習得するための教育などで、気候変動によらない生計の立て方を教える支援し、人々がより脆弱な状況に陥るのを防ぐための活動をしています。気候変動が起きると、ケニアでは民族間の衝突が起きがちなため、紛争予防のプロジェクトも担当しています。
就活の失敗がやりたかったことに立ち返るきっかけに
いつから、国際機関で働きたいと思い始めたのか振り返ってみると、SFCを卒業する頃には、国際問題に対する意識があったようです。高校を卒業する3年生の3月末の日記に、私は将来、国際平和のために働く、そのためにやるべきことをやろうみたいなことを書いていました。
さらに遡ると、高校3年の自由研究では、カンボジアの貧困をテーマにして書いています。自由研究は1年をかけて自分の決めたテーマに取り組むもので、自分は何を研究したいのか向き合う機会になり、開発分野への関心を高める時間になったのだろうと思います。
とはいえ、大学ではスキューバダイビングに夢中になり、そのためのバイトと自分が楽しいと思う勉強しかしていませんでした。のんびりした性格もあって、大学3年生の時の就職活動にはことごとく失敗。奨学金が給付される留学制度に受かり、アメリカのシアトルでインターナショナルビジネスのコースで1年間学ぶことにしたのです。
就活の失敗は、自分が本当に何をやりたいのかを見つめ直す、いいきっかけになりました。そういえば私は、国際協力の仕事をしたかったと思い出して、難民キャンプのインターンに卒業するまでは関わっていました。難民キャンプでの経験を経て、私のこれからのキャリアはこれだと確信したのです。
私自身、4歳から11歳まで香港で暮らした帰国生でしたし留学も経験しました。親は香港の後、東欧のプラハ、アフリカのケニアなどに転勤していたので多くの移動を経験してきました。住み慣れた場所から移動したときの孤独な気持ちがよくわかりますし、私のような経済移民でさえ心細いのに、難民や経済的に苦しくて移動している人たちは、どれだけ心細いのかと思ったことがきっかけで、人の移動にフォーカスするようになりました。
国際機関で働くための学費づくりと大学院留学
私はJPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)制度で働いています。お給料は日本政府からもらって国際機関で2年間働き、3年目は国際機関と日本政府が50%ずつ出し、4年目以降は国際機関から全額出してもらう職員になることが期待されています。国連の中で若手の日本人を増やし、将来の国際機関での日本人幹部候補を育てるための制度です。
国際機関で働くには様々な条件があり、例えばJPO制度の応募は大学院を卒業している(修士以上の学位がある)ことと、関連分野での勤務経験2年以上がミニマムの条件です。
JPO制度で働くためには、大学院に行かなければいけない、そのためには学費と生活費を作る必要がある、というわけで、大学4年で国際機関に行きたいという思いを固めてからは、まず就職を本気で目指しました。
アメリカのボストンキャリアフォーラム(英語と日本語のバイリンガルの人を対象にした就職フォーラム)で、会計系のコンサルに内定をもらって就職。最初はITのチームに配属されたのですが、すぐ部署異動の希望を出しました。新卒では異例ですが強行突破で変えてもらって、公共系のコンサルティングチームでミャンマーのエネルギー政策のコンサルティングやJICAの人口評価などを担当しました。
3年半働いて大学院の留学費用を作ると、退職してイギリスのサセックス大学の大学院へ。開発分野において権威であることと、イギリスの大学院は1年で終わることが理由です。学費だけでなく生活費も必要ですから1年か2年かの差は大きいのです。
大学院では移民と開発を専攻。難民支援だけでなく、もっと広く気候変動、自然災害、人的災害、紛争、経済的不均衡など様々な要因による人の移動の問題に目を開かれました。
大学院卒業後は、NGOでケニアとウガンダの難民の教育支援に約1年携わり、JPO制度に応募して採用されIOMの職員になったのです。
テニス部で学んだ目標に向かうための逆算
こんな風に、移動の問題に取り組みたいという目標から逆算して取り組むスタイルは、藤沢湘南中高でテニス部の活動で訓練されたのかもしれません。中高ともに硬式テニス部で、大学生の先輩たちにもたくさん指導していただきました。高校生の頃はゴールとしてインターハイを目指していたので、その目標のために何をしなければいけないのか、ゴールからワンステップずつ逆算して、今何をするかまで落とし込んで考える練習ができた気がします。
そして、今も私のモットーになっているのが、高校を卒業するときに林弘之先生からいただいたメッセージです。全員にメッセージを書いてくださって、最後に書いてあった言葉がこれでした。
「善なるに勇なれ」。
勇気がないとこの仕事は続けられない部分もあります。若手のヘッドという立場になり、矢面に立たなければならないこともありますが、勇気をもって、強くかつ目の前の人のためになることって何だろうと思いながら仕事を進める。たびたび思い返し、自分に問うている言葉です。
例えば日本にいると想像できないかもしれませんが、砂漠地帯には想像を絶する貧困があり、食べるものがないからそこら辺にある葉っぱを煮出してお茶にして飲んだり、自生している豆で空腹をしのいでいたりします。
野菜を育てることで栄養状態も良くなるし、それを売って少しの収入にしたりすることもできるので、干ばつに強い農業の普及で全くの砂漠地帯だったところが緑になっていくところを見たときなど、やっぱりこの仕事って楽しいと思いますし、やりがいを感じます。
とはいえ、遊牧民はとても伝統を重んじ、暮らしの仕方にもプライドを持った人たち。緑化プロジェクトに一度は合意したものの、現地の村長たちの会議で不可とされて、その土地を使うことはやめることになることもあるのですが。
満足にご飯が食べられない人たちの人生に、少しでもポジティブを与えられているのかなと思います。
帰るところがある安心感と人に頼れる強み
私は多様性のある環境が好きで、出身国も宗教も見た目もジェンダーも、世界の見方がみんなそれぞれ異なる中で、でも一つの目標に向かって一緒に過ごすことがすごく好きですし大切にしています。国際機関はそれを実行できる最高の場所の一つ。今JPO制度で3年目なので4年目に延長したいと働きかけているところです。
国際機関は毎回1年ごとの契約で直前まで決定が出ないという不安定なキャリアです。それでもチャレンジできるのは、リスクを取ってもし失敗しても帰る場所があると思えるから。子どもの頃から、家族がいて仲間がいるから挑戦することは特に怖くありませんでしたし、今も夫と子どもがいて、帰る場所があることが大きな支えになっています。
それにのびのびした性格は今も変わらず、何とかなると思っている部分があるので。努力するべきタイミングで努力し、人に頼るべきときは頼る。得意不得意をうまく分担してやろうとすることは、SFCで培われた気がします。
数学が得意な子は数学のまとめノートを作ってみんなに配って、私は現代文や古文が好きだったのでそのまとめノートを作って、交換していました。そうやって、みんなで賢くなろうという雰囲気があったので、今も遠慮なく人に頼りますし、わからないから教えてと言える。そうすることでちょっと生きやすくなっている気がします。